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椿明山です ようこそ[椿の夢]へ

高校野球、球児憧れの甲子園への思いの挫折。思い出。(後編) [思い出日記]

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椿です

セカンドがポジションになった。

中学生になった息子は、やはり、野球を選んだ。

小学生の頃、戦った同士が、チームメイトになった、仲良くなって、

いつも皆一緒だった、例によって球拾い片付けで、始まり、2年で代打要員、守備交代員。

3年になった時、ぽつんと「時々肘が痛い時がある」と言う。

そうか、疲れが出ているのだろうと言っていたのです。

早くに気づいてやれなかった情けない自分に腹が立ちます。

後から分かるのですが、肘の関節の間にかけた骨のかけらが挟まって、

瞬間、痛むのだそうです。

少しずつ、その頃には、甲子園の夢も彼の中では薄らえてきはじめていたのかも知れない。

そんな訳で、とてもピッチャーは務まらないのでセカンドが彼のポジションになりました。

幻の8番バッター

バッターも8番となり大した活躍模できなかったのかもしれません。

何しろ、試合を見に来るな、学校に来るな、と言うのでいつしか私も、

それをいい事にして、仕事に打ち込んでいたのです。

やがて、最後の夏の大会が始まろうとする寸前、

「お父さん、コーチに野球やめたいと言ってくれ。」と言うのです。

訳を聞くと、やはり肘が痛い時があって、

暴投をしてしまうので皆に迷惑をかけるから、と言うのです。・・・・

途中でやめると言った事のない男がよほどの事だろうと思って、

「分かったよ」と要件を引受て次の日、学校に出向きその旨を伝えたところ

「お話の意味は、分かりました、しかし彼は、意外性のバッタで

何故かチャンスが回って来て、そしてチャンスに強いので,大事な男なのです、

何とかこの県大会が終わる迄待って頂きたいのです、説得よろしくお願いします。」

と言うことで、認めてもらえなかったのです。

幻のバッター本領発揮

でも事の内容は、伝わったと言うことで、彼も思い直して頑張り始めました。

大会も順調に勝ち上がり順決勝戦です。0対0の緊迫したゲームです。

4回の表1アウトランナーなし、8番バッターの彼はセンターオーバーの2塁打で出塁、

9番バッターの正樹を待ちます。正樹はフルカウントから、思い切って引っ張った。

何と正樹は左中間の2塁打、そして意外性の8番バッタアーがホームベースを駆け抜けました。

1対0結局その1点を守りきって勝ったのです。

夢の県大会優勝!!

そして決勝戦これがまた凄い、0対0の5回1アウトランナー2塁、息子登場。

あえなく三振。2アウトそこからが凄い2塁打、2塁打、2塁打2塁打、2塁打、2塁打、2塁打、2塁打、     (8連続2塁打で8点)先取、またしても、息子に打順が回って来た。

ストライクバッターアウト。ひとりで1イニング2三振であった。前代未聞の恥だった。

あとで彼曰く、「人が打つ時には、僕はいいんだ!」だって、

県体優勝は40年ぶりの快挙だった。

県体優勝を果たした仲間とは今も仲がいい。

看護婦さんがどんなに優しかったのか?医者になると言う8番バッター

そして県立病院へ入院して、肘の手術を受けたのである。

先生は間違いなく小学校の時の傷であるとの診断であった。

傷は癒えて、退院して、「お父さん医者になる!」だと。力いっぱい反対した。

高校へ入学して、野球を諦め、やりたいバスケット部に入った。

この話の続きはまた明日。

ご機嫌よう。








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